Hiromi

姪のヒロミが生まれたのは今から約10年ほど前のことです。ヒロミは、はじめの頃こそどこにでもいる普通の赤ちゃんで、病院側が測定しなかったので身長こそ分かりませんが、体重は約3600g(8ポンド弱)でした。

髪がふさふさとあり眠ってばかりいる子で、他にすることといえば、頭をぐっと持ち上げ、泣きながら後ろに反り返ることくらいでした。またよく瞬きをする子で、10回ほど目をぱちぱちした後に泣き始めるのでした。泣くといっても、ヒロミの泣き声は数秒間「あっ、あっ、あっ」というだけのか細いもので、あとは声にもならないものです。

トロンとした右眼は、一度閉じてしまうと左眼が大きく見開いている時でさえ開かず、目を細めることも驚いて目を見開くこともできませんでした。
(後に、この頻繁な瞬きと弱々しい泣き声は、何らかの異常があるという神経系の顕れであったことを知ることになります。そして、軽少でこそあれ明白なこの神経系の異常症候は、ヒロミが胎児性アルコール症候群を負っていることを示唆していたのでした。)

生後1ヶ月のヒロミの顔は赤黒く、頭の周りと鼻から下の身体全体に発疹ができていました。左肩から下は動かせないようで、ダルマを転がして遊ぶ時も右手だけを使うのでした。3ヶ月になり、ようやく微笑するようになったものの(通常は生後6〜8週間で微笑が始まる)、口の左側だけ、のちには下唇のみでしか微笑むことができなくなります。また、ヒロミのお腹はいつも異常に膨らんでいました。
(この腹腔の異常膨張は、母親が授乳期にも飲酒していたため、乳児の未熟な肝臓では母乳に含まれるアルコールを分解することができずに引き起こされたものであることが、数年後、研究の結果解ることになります。)

生後約5ヶ月になるヒロミの肢の異常に気付いたのは、ヒロミが母親にスノースーツを着せられて公園に行った時のことでした。(どんなにヒロミが汗かきでも、初夏頃まで母親は彼女に厚着をさせるのでした。)ヒロミの手はいつも汗でじっとりと湿って冷たく、
(多量の発汗は体温調節機能の異常を示し、胎児性アルコール症候群によるものだと考えられます)お祈りをする時に合わせる両手のように、ヒロミの両足の裏は互いに向き合った形を取り、指は前ではなく上に向いているのでした。(これは『内反尖足(equinovarus)』と呼ばれる軽度な内反足の形状です。)

手指はむくみ、親指に近い手の甲には深いシワが一本走っていました。成長するにつれ親指は他の指に向かい合わなくなり、うまく物を掴めずに落とすことが多いので、周りはヒロミを単に不器用だと思ったようでした。

母乳が『薄すぎ』て充分な栄養を供給できていないと医者に言われ、母乳に加え調合乳を与え始めたのは、ヒロミが生後6ヶ月の頃です。ヒロミはその時、約7300gしか体重がなく(健常児の体重は約8000g以上)、周りの同じ6ヶ月の子に比べるとずいぶん小柄でした。誰も気にも留めていないようでしたが、ヒロミの母乳を吸う力も弱々しく、吸い始めて一分も経たないうちに疲れてしまうようでした。

頭の形も少し変わって見えました。ある角度から見るとメロンのように丸いのですが、別の角度からはラグビーボールのような楕円形に見えるのです。もちろん人の頭の形は常に左右対称ではありませんし、赤ちゃんの頭蓋骨はまだ柔らかいので形を変えることも可能ですが、いくら寝る姿勢や位置を変えても、ヒロミの頭の形は変わらないようでした。また、彼女の髪の伸びは他の子に比べ極端に遅く、また伸びても一様ではなく不揃いで、頭の右側より左側の髪の方が長いといった具合でした。


部屋の向こう側が見えないように振る舞うこともありました。父親がビデオカメラを片手にヒロミに呼びかけても、カメラの後ろにいる父親を認識できず、宙に向かって手を伸ばしたまま動かないのです。また、車の停まっていない空の駐車場の向こうから歩いてくる父親の姿が見えず、周りを見渡しながら「パパ、パパ」と泣くこともありました。他の子供がヒロミと一緒に遊ぼうとしても、ヒロミは一円玉大のハゲのある頭を前後に振りながらじっと見つめるだけで、何の反応も示さないのです。
(これは、児童発達分野の著名な専門家、ブラゼルトンによって『fragile ベイビー』と呼ばれている子供の行動です。)ヒロミの視覚・聴覚は正常ではなく、周りからの知覚情報に過敏すぎるがゆえに、逆に反応できないのです。(これは感覚統合障害と呼ばれます。)


(2へ続く)



※文中に使われている個人名は一部を除き仮名となっています


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